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文を書くのが好き
文を書くのが好きだ。
文を書くのが趣味だ、と言えるほどには、最近は文を書けていない。だが、文を書くのは気持ちがいい。
小説を書いて、このブログや他のサイトで公開したりもしている。温かい反応もいただけて、本当に有り難い限りだ。そんな活動をやってこられたのは、私が文を書くことを苦にしない、むしろ愉しめる気質だったのも一因だろう(無論、読者の皆さまの応援のほうがはるかに重要であったが)。
「文を」書くのが好き、と言った。「小説を」ではない。小説に限らず、たとえば今まさに書いているこのブログも、さらに言えば職場で打ち込むビジネスメールの文面さえ、書いているとなんとなく心地よい。
文を書いているなかで、どんな瞬間が楽しいか。それは、言葉を選んでいる瞬間だ。どの表現を用いれば、自分の考えが過不足なく伝えられるか。臨場感を演出できるか。あるいは、相手に失礼なく受け取ってもらえるか。自分の「意図」に、言葉が輪郭を与える瞬間。これがなかなか面白い。
「言語化」が流行語となり続けて数年。私の楽しんでいることも「言語化」と呼べるものだと思う。意図に、言語という形を与える営み。言語化能力はインターネットで重要とされている能力である、と書くと少し意地悪になるが、まあ間違った見方ではないように思う。
実は、私は「言語化」に少し苦手意識を持っていた。
何を今更、ここまで話しておいて、と思われるだろうが、私はインターネットのオタクコミュニティで重要とされる分野の「言語化」が苦手なのだ。
「感想の言語化」である。
ゲームをプレイした感想。アニメを観た感想。さらには、フォロワーが書いた小説に送る感想さえ、かなり言語化に苦しむ。自分はフォロワーの皆さまからの感想に支えられていながら、薄情な限りである。
私が好きなのは、私の内で明確な姿を持つ「意図」を、文という形で私の外側に再現することだ。しかし、作品を享受した直後の私の胸中にあるものには、はっきりした輪郭を見出だせないのだ。
さらに言えば、たとえば小説なら、作者の「意図」はその作品という形をすでにとっていて、私がしていることはその「意図」を私の内で再現を試みることであって、私が感想という野暮を付け加える必要などあるのか、と思ってしまう。これは屁理屈である。よくない。感想なんて、送ったほうが良いに決まっている。
感想のソムリエになりたい。
味を表す語彙が「あまい、からい、すっぱい」と普段遣いに長けたものが揃う一方、香りを表す語彙はそうではない。ワインの微妙な香りや味わいをできるだけ表現すべく、ソムリエにはソムリエの語彙がある。
感想のための語彙というものを身に着けたい。語彙でなくとも、褒め方の切り口、論理展開でもよい。それでいて、読書感想文のテンプレートみたいな書き方にならないような……
今後の課題としたい。





